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福島地方裁判所 昭和23年(行)25号 判決 1949年1月14日

原告

渡部秀明

被告

福島縣農地委員会

主文

被告福島縣農地委員会が昭和二十三年四月二日附福島縣農委裁決い第一二九号の二及び同年同月十五日附福島縣農委裁決い第一二九号の三でした各裁決は、これを取り消す。

原告の被告國に対する請求はこれを棄却する。

訴訟費用中原告と被告福島縣農地委員会との間に生じた部分は同被告の負担とし、原告と被告國との間に生じた部分は原告の負担とする。

請求の趣旨

主文第一項同旨及び被告國が別紙物件目録記載の農地を買收した行爲は無効なることを確認する。訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

原告は、請求原因として福島縣安積郡月形村農地委員会は、昭和二十二年八月二十六日原告所有の別紙物件目録記載の農地につき、昭和二十年十一月二十三日現在右農地は不在地主である原告所有の小作地であるとの事実に基いて、いわゆる遡及買收計画を樹立公告したので、原告は、これに対し異議の申立をしたが、同年九月十二日却下されたから、同月十七日被告福島縣農地委員会(以下被告縣農委と略称する)に訴願した。右遡及買收計画には次のような違法がある

原告は、負債整理のため、両親、兄弟妹を残して、大正九年四月單身上京、東京遞信局工務課などに勤務していたが昭和十三年九月上旬退職帰省して、訴外河井好野と事実上の婚姻をし、農耕に從事した。これよりさき、昭和五年二月下旬、原告は、呼吸器疾患が悪化して喀血し、昭和六年五月下旬まで帰村靜養したことがあつたが、昭和十四年二月十三日疾患再発して、また喀血したので、同年四月下旬上京し、それからは、東京都王子区上十條千八十九番地の実弟渡部正三方で加療したり、千葉縣館山市長須賀百四番地に轉地療養したりして、長年の闘病生活を送つてきたが、その間郷里月形村の自宅と、渡部正三方及び館山市の轉地療養先とを往復し、内妻好野は、二兒とともに終始月形村にいて、農耕に從事していた。原告も努力のかいあつて健康を回復し、昭和二十二年十一月上旬月形村の自宅に復帰し、家族とともに生活している。それで、昭和二十年十一月二十三日当時、原告が月形村に住所を有していなかつたことは相違ないが、原告の右疾病は、

一、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する。)第二條第四項、自作農創設特別措置法施行令第一條第一号に掲げる疾病に、

二、自創法第四條第一、二項に規定する特別の事由に、

三、同條第五條第六号に、

各該当するから、右遡及買收は違法である。

原告は、右事由をもつて訴願したところ、被告縣農委第一特別委員会は、昭和二十二年十月二十三日原告の訴願を容認する旨の議決をした。月形村農地委員会は、同年十一月二十六、七日ころ被告縣農委に対し再審議の要求をしたが、右第一特別委員会は、昭和二十三年三月三日再審に應じないとの決議をし、被告縣農委は、同月二十九日裁決い第一二九号で、原告離村の事情には、自創法第四條の規定による特別の事由があるとの理由で、原告の訴願は、これを容認する。相手方月形村農地委員会は、原告の異議についてした昭和二十二年九月十二日の決定を取り消し、その第三期買收計画中から本件農地の買收を消除すべき旨の裁決書を作成した。しかるに、福島縣知事は、同月三十一日福島縣達第一六号再議指示書で、前示裁決は、自創法第三條に違反するものと認められるとの理由で、農地調整法第十五條ノ十八の規定により、再議に付すべきことを被告縣農委に指示し、被告縣農委は、右指示に基き、同年四月二日裁決い第一二九号の二で、第一二九号の前記裁決は、自創法第三條及び第六條に違反する不当の議決であるから、再議の結果これを取り消す旨の裁決をし、ついで、同月十五日裁決い第一二九号の三で、原告の離村は、自創法第四條その他同法にいわゆる宥怒さるべき事由に該当しないとの理由で、原告の訴願を棄却する旨の裁決をし、原告は同月二十二日これら各裁決書の送付を受け、同年八月ころ、本件農地の買收令書が交付された。

しかしながら、右裁決い第一二九号の三の裁決が、原告の疾病をもつて自創法第四條に規定する特別の事由に該当しないと判断したのは、事実の認定を誤つた違法のものである。しかのみならず、福島縣知事の前記再議指示は、農地調整法第十五條ノ十八所定の一月を経過した後にされた違法のものであるから、これに基いてされた被告縣農委の前記裁決い第一二九号の二及び第一二九号の三の各裁決もまた違法であり、從つて被告國の買收行爲は無効であるから、被告縣農委に対する関係では、右各裁決の取消を、被告國に対しては、右買收行爲の無効確認を求めるため、本訴に及んだ次第であると述べ、証拠として甲第一、二号証の各一、二、三、第三号証の一、二、第四乃至第九号証を提出した。

被告等は、いずれも原告の請求を棄却する。訴訴費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の事実中、月形村農地委員会が、原告所有の本件農地につき、いわゆる遡及買收計画をたてたこと、(但しその日時は昭和二十二年八月二十日である。)右買收計画に対し原告が異議の申立をしたが、棄却されたので、さらに訴願したところ、被告縣農委第一特別委員会は、同年十月二十三日これを審議の上、容認と決定したが、月形村農地委員会から再審議願が提出されたので、(その日時は同年十二月十九日附である。)右第一特別委員会は、昭和二十三年三月三、四の両日重ねて審議の末再審議に應じないと決定したので、被告縣農委は、同月二十九日右訴願を容認し、月形村農地委員会の異議棄却の決定を取り消し、本件農地を買收計画から除外する旨の裁決をしたこと、福島縣知事は、同月三十一日この決議は、自創法第三條及び第六條の規定に違反する不当の決議であるとの理由で農地調整法第十五條ノ十八の規定により、被告縣農委に対し再議に付すべき旨の指示をしたこと、被告縣農委が、右指示により、同年四月二日再議の結果、再議指示の理由を認め、さきの裁決を取り消し、同月十五日原告の訴願を棄却する旨の裁決をし、同月二十二日右各裁決書を原告に交付したこと及び本件農地に対する買收令書が、同年八月ころ原告に交付されたことは、これを認めるが、その余の事実は、これを否認する。原告は、約三十年前から郷里月形村を出て東京方面に居住し、官吏等をして生活していたもので、村内には居住しなかつた。もつとも昭和二十一年十月十五日から昭和二十二年五月十二日まで帰村していたが、内妻や二兒と同居したのではなく、自己所有家屋に單身自炊していたもので、翌十三日再び離村出京し、現在まで東京に居住している。そして訴外佐藤伊三郞は、昭和十五年ころから原告所有の本件農地を賃借耕作しているので、月形村農地委員会は、自創法第三條第一項第一号に該当するものとして、本件買收計画を定めたものであるから、右買收計画は適法である。又福島縣知事の再議指示も違法ではない。被告縣農委は、福島縣農地委員会に関する規程第十三條により、昭和二十二年九月三十日小作層五名、地主層三名、自作層二名、中立二名、計十二名の委員で構成する第一特別委員会を設け、自創法第七條及び第十九條の規定による訴願の審議をその権限とした。右権限に基き、第一特別委員会は、昭和二十二年十月二十三日及び昭和二十三年三月四日前示各議決をしたのであるが、それは、

第一特別委員会における審議の過程に過ぎないのである。被告縣農委は、右第一特別委員会の報告に基いて、同年三月二十九日初めて容認の裁決をしたのであり、福島縣知事は、右裁決に対し、同月三十一日再議に付すべきことを指示したものであるから、右指示は所定期間中にされた適法のものである。なお、当時の規程では、特別委員会の議決をもつて、縣農委の議決に代えることができることになつており、訴願についての議決もこれに從つていたので、被告縣農委は、昭和二十三年三月二十九日全員委員会を関催したこともなく、從つて議決をしたこともない(もつとも、右規定は、昭和二十三年六月から、特別委員会の議決は、さらに全員委員会の議決を経ることに改正された)と述べ、証拠として、被告縣農委は証人大越錬一の証言を援用し、被告等は、甲第三号証の一中医師の成作に係るものは、その成立を認めるが、その余の部分の成立は不知、同号証の二、第四号証、第九号証の成立も不知、爾余の甲号各証の成立を認め、同第一、二号証の各一、二、三を援用した。

理由

安積郡月形村農地委員会が、昭和二十二年八月中本件農地は、昭和二十年十一月二十三日現在不在地主である原告の所有する小作地であるとの事実に基き、いわゆる遡及買收計画を定めたこと、原告は、これに対し、異議の申立をしたが、同年九月十二日却下されたので、同月十七日訴願をしたところ、被告縣農委第一特別委員会は、同年十月二十三日右訴願を容認する旨の決議をしたこと、月形村農地委員会は、被告縣農委に再審議願を提出したが、右第一特別委員会は、昭和二十三年三月四日再審に應じないと決定したこと、(原告は、右決定のあつた日は、三月三日であると主張するが、甲第二号証の三により、三月四日と認定する。)被告縣農委は、同月二十九日裁決い第一二九号をもつて、原告の訴願を容認し、相手方月形村農地委員会は、原告の異議についてした昭和二十二年九月十二日の決定を取り消し、その第三期買收計画中から本件農地の買收を削除せよと裁決したが、福島縣知事は、その翌日である同月三十一日農地調整法第十五條ノ十八の規定により、右裁決は、自創法第三條に違反するものと認められるとの理由で、再議に付すべきことを、被告縣農委に指示したので、被告縣農委は、右指示により、同年四月二日裁決い第一二九号の二をもつて、三月二十九日の前記裁決は、自創法第三條及び第六條に違反する不当の議決であるから、再議の結果、これを取り消す旨の裁決をし、更に四月十五日裁決い第一二九号の三をもつて、原告が不在となつた事由は、自創法第四條その他同法にいわゆる宥怒すべき事項に該当しないからとて、訴願を棄却する旨の裁決をし、右三通の裁決書の謄本が、同月二十二日原告に送付されたことは、本件当事者間に爭がない。

よつて、福島縣知事の前記再議指示の適否を勘案するに、昭和二十二年十月二十三日及び昭和二十三年三月四日の前示各議決が、被告縣農委の議決ではなく、被告縣農委第一特別委員会の議決であることは、前段認定の通り、当事者間に爭がない。被告等は、福島縣農地委員会に関する規程により、被告縣農委は、特別委員会を設けることができ、且つ特別委員会の議決をもつて、委員会の議決に代えることができることになつており、右第一特別委員会は、前記規程により、その議決をもつて、委員会の議決に代えることになつていたので、裁決い第一二九号の裁決書の日附である昭和二十三年三月二十九日には、改めて委員会を開いたこともなく、また議決をしたこともないと陳述するによつてこれをみれば、前記再議指示書には、「昭和二十三年三月三十日福島縣農委達第一号を以て、安達郡月形村農地委員会第三期買收計画中左記農地の買收は削除されたるも、右は後記理由により、自創法第三條に違反するものと認められるので、農地調整法第十五條ノ八の規定により再議に付すべきことを指示する」(甲第二号証の一)と記載されてあるが、(右のうち、昭和二十三年三月三十日とあるのは、甲第一号証の一と対照して、三月二十九日の誤記と認める。)右指示は、疑もなく、昭和二十二年十月二十三日の議決に対してされたものと認定せざるを得ない。何となれば、同日原告の訴願を容認する旨の議決があり、昭和二十三年三月四日の議決は、單に月形村農地委員会の再議願に應じないと議決しただけであるから、同年三月二十九日の裁決書は、明らかに昭和二十二年十月二十三日の議決に基いて作成されたものであつて、該議決を除いては、再議指示の目的となるべき議決がないからである。そうすると、福島縣知事は該議決に対しては、農地調整法附則第八條(昭和二十二年法律第二百四十号)により、昭和二十三年一月二十五日まで、再議指示をすることができただけであるから、同年三月三十一日にした前記再議指示は、期間経過後にされた違法のものであることは、いうまでもない。

次に違法な前示再議指示により、被告縣農委のした昭和二十三年四月二日の裁決い第一二九号の二及び同月十五日の裁決い第一二九号の三の各裁決の効力を考えて見るに、凡そ農地委員会は、自作のした行政処分の手続、形式又は内容が、法規に違反するものと認めるときは、その行政処分がなお取り消し得べき状況にある限り、自らこれを取り消すことができるものと解する。その取消は、それが正当である以上、有効であり、その取消をするに至つた動機が、自らの発意によると、都道府縣知事の再議指示によると、またその指示が適法なると違法なるとによつて、取消の効力には、何等の影響もない。被告縣農委のした裁決い第一二九号の裁決は、昭和二十三年四月二日なお被告縣農委自らこれを取り消し得る状況にあつたと認められるから、裁決い第一二九号の二及三の各裁決が、違法な再議指示によつてされたというだけの理由で、直ちに、これを違法なものと論定することはできないわけである。

進んで、原告主張の特別の事由の存否について審究するに、甲第三号証の一中の医師矢崎〓郞及び柳田昌雄作成の各診断書、甲第四号証、当裁判所が弁論の全趣旨により眞正なものと認める甲第三号証の一中の藤井療法王子分院成作の治療劵に原告弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は、昭和十三年九月郷里月形村に帰つて、河井好野と内縁関係を結び、農耕に從事したが、とかく健康が思わしくなく、昭和十四年二月往年の呼吸器疾患が再発して喀血したので、内妻好野に農耕をまかせて、同年三、四月ころ東京都王子区上十條の実弟渡部正三をたよつて上京し、同人の助力で医藥に親んでいたが、四月下旬左肺尖炎と診断されたので、五月下旬千葉縣館山市長須賀海岸に轉地療養し、爾來三年有余の闘病生活を経て、漸く小康を得たので、昭和十八年八月末轉地療養先を引きあげ、東京都の正三方に寄食中、肺炎にかかつて、昭和十九年一月から四月上旬まで医療を受けたが、昭和二十年四月十三日の空襲で、東京の住居が全燒したため、五月上旬帰村して養生をしていたが、九月になると、また〓健康を害したので出京診察を受けたところ、十月十五日肺浸潤で向後三箇月安靜加療を要すると診断されたので、昭和二十一年四月三十日まで東京都の藤井療法王子分院やその他で治療を受けたことが認められる。原告の右病気は、まさに自創法第四條第二項、第二條第四項、自創法施行令第一條第一号に掲げる疾病に該当するものと認定するのが相当である。それ故、昭和二十年十一月二十三日当時、原告が、月形村の原域内に住所を有しなくなつたとして、もそれは右疾病によるものと認定するのが相当であるから、原告は月形村の区域内に住所を有するものとみなされることになり、從つて本件農地を自創法第三條第一項第一号所定の小作地として定めた月形村農地委員会の前示遡及買收計画の違法であることは、いうまでもない。

してみると、右と同旨に出た被告縣農委の裁決い第一二九号の裁決が正当であり、これを取り消した裁決い第一二九号の二及び原告の訴願を棄却した裁決い第一二九号の三の各裁決は、いずれも違法であるから、その取消を求める原告の請求は、理由あるものとして、これを認容すべきものである。

最後に、被告國に対する請求について審按するに、昭和二十三年八月ころ本件農地に対する買收令書が原告に送付されたことは、当事者間に爭がない。原告は、右買收行爲の取消または変更を求めるものではなく、その無効確認を求めるものであるから、その無効を即時に確定する法律上の利益があるならば、國を被告としても、一向差支ないわけであるが、右買收行爲は、当然に、当初から、無効であると認めることはできない。從つて、原告の被告國に対する請求は失当であるから、これを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九條を適用して、主文の通り判決する。

(目録省略)

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